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特集 西馬音内盆踊りを考える

特集「西馬音内盆踊り」 国指定重要無形民俗文化財「西馬音内盆踊り」。
 豊年祈願や盆供養のために始められたという伝統行事。近年は、マスコミ等の影響により、人口二万人弱の小さな町に、毎年十数万の観光客の方々が来町し、町の活性化となる一方、混雑を極め満足に「西馬音内盆踊り」を行うことも観ることも出来ない状況になっています。今回は、西馬音内盆踊りの魅力と抱える問題を検証しました。

歴史
 西馬音内盆踊りの起源・沿革につ いては記録されたものが全くないため、すべて言い伝えによるものですが、正応(しょうおう)年間(一二八八〜九三)に源親(げんしん)という修行僧が、蔵王権現(ざおうごんげん、現在の西馬音内御嶽神社)を勧請(かんじょう、神仏の来臨を請うこと)し、その境内で豊年祈願として踊らせたものいう説があります。
 また、奥州征伐(一一八九年に起きた鎌倉政権と奥州藤原氏との戦い)の功により雄勝を領有し、西馬音内城(現在の郷ノ目周辺)を築城した、小野寺氏が、慶長六年(一六〇一)最上勢の進攻により滅ぼされ、遺された家臣が堀廻(元西)と前郷(西馬音内)に土着し主君をしのび踊った盆供養の踊りが、蔵王権現の豊年踊りと合流し、盆の十六日から二十日までの五日間、宝泉寺(西馬音内寺町)の境内で踊られたともいわれています。
 そして、天明(てんめい)年間(一七八一〜八八)に、お寺の境内では踊れなくなったため、場所を本町通りに移したと伝えられています。
 大正年間にいよいよ盛んになった西馬音内盆踊りに対して、警察当局が「風俗を乱すもの」として弾圧したことが伝えられています。町の人々の抗議も、押し問答の繰り返しで、らちがあかず、そのうえ、そうした事情で必要な経費も集めることができずに、一時は非常に衰えました。しかし、西馬音内盆踊りの復興を強く望む住民感情が高まり、地主の中にも私財を投げ出してまで復興を望む人々がいたので、数年後には元のように盛んになりました。
 このように、西馬音内盆踊りの起源・沿革にについては、全く記録されたものがなく、県内の盆踊りの歌謡などを採録した菅江真澄(すがえますみ)の書物や、院内銀山(旧雄勝町)の医師であった門屋養安(かどやようあん)の日記にも近隣の芸能はでてくるものの、西馬音内盆踊りの記述はありません。しかし、凶作の年でも中止されることもなく続けられたと伝えられ、当初から、多くの人々の熱意と愛情により踊り継がれたことがうかがえます。

現在の形に整ったといわれる、第九回全国郷土舞踊民謡大会の様子 昭和和十年、第九回全国郷土舞踊民謡大会に、県の推薦により出場することになり、そのさいに、衣裳や踊りなどに工夫をこらし大きな評価を受けました。その時に現在の型に整ったといわれています。それ以前(大正期)は現在の衣裳もあったものの、奇抜な衣裳や仮装などもあったようです。(右写真:現在の形に整ったといわれる、第九回全国郷土舞踊民謡大会の様子)
 昭和二十年、第二次世界大戦敗戦と同時に初めて盆踊りが中止されました。しかし翌年、犠牲となった戦没者を慰めるために再開され、以後一度も中止されることなく現在に至っています。さらに、戦後間もなく、食糧も乏しかった昭和二十二年に、西馬音内盆踊りの振興および保存・伝承を目的として「西馬音内盆踊保存会」が住民の「誇りと愛情」により設立されました。こうした関係者の熱意から、昭和四十六年一月、文化庁長官(当時)より、記録作成等の措置を講ずべき無形文化財として指定。同十二月には県教育委員会より、秋田県無形文化財として指定され、さらには、昭和五十六年一月二十一日、盆踊りとしては全国で初めて国の重要無形民俗文化財に指定されています。また、昭和三十三年、盆正月の行事も新暦で行うことになり、八月十六日〜十八日までの三日間となりました。

 保存会では、平成十一年に行われた第七回地域伝統芸能全国フェスティバルで、長年にわたり地域伝統芸能の振興に貢献したとして、秋田県で初めて地域伝統芸能大賞を受賞したほか、平成十五年には、長年にわたり盆踊りの保存伝承に貢献していることが高く評価され、サントリー地域文化賞を受賞しています。
 また、昭和五十六年にアメリカ・サンフランシスコの桜祭りで初めて海外で公演され、平成十二年にはハンガリー・フランスで、翌十三年には韓国、平成十六年には二十三年ぶりにアメリカ公演がミネソタで、今年七月にはモンゴル建国八百年を記念してモンゴルで公演が行われるなど、国際交流の一翼を担っています。

端縫
盆踊り会館に展示してある松谷祐子(まつやさちこ)さん所有の端縫い衣裳 端縫い衣裳は、西馬音内盆踊り特有の美しい踊り衣裳で、女性の踊り子が用いています。この場合、編み笠がかぶられています。(左写真:盆踊り会館に展示してある松谷祐子(まつやさちこ)さん所有の端縫い衣裳)
御殿女中風な形の帯としごき 端縫い衣裳は四種も五種もの絹布(けんぶ)をはぎ合わせたもので、帯もしぶ味好みのものが多く、結び方は御殿女中(ごてんじょちゅう)風な形になりその上に、赤か紫・黄のしごき(並幅の布を、そのまま用いる帯)を締め、蝶結びにして、左側に下げます。(写真右:御殿女中風な形の帯としごき)
 二枚の布をはぎ合わせるため昭和初期までは「はぎ衣裳」と呼ばれていたものが、少し布端を折り返して縫うことの「端縫い衣裳」と呼ばれることが多くなっています。その中には、百年以上前のものや綿や真綿を入れたものも見られ、防寒用の着物の中着である胴着で踊った時代もありました。
 左右対称に見事に配色され、多数の観客の目にふれる踊り衣裳に婦人たちが強い関心と工夫をよせ、小布や半端な布でも捨てず、おもいおもいに図柄や配色に苦心をしながら、端縫い衣裳を縫いあげたことが、しのばれます。そして、それは、祖母から母へそしてその子へと受け継がれたことでしょう。また、昭和初期から中期までは、端縫い衣裳はよほどの旧家などしか持っておらず、さらには、踊りが上手でなければ着ることができなかったといわれています。

編み笠
 編み笠はよく乾燥させた、い草を材料として作られ、半月形よりも両端が張り出した形が特徴的です。両側の側面に芯の入った赤いくくり紐を結びかぶるとき開きすぎて顔が見えることのないよう、笠の前後を赤い紐または布でとめます。それを前被りにかぶって踊ります。端縫い衣裳や藍染め衣裳に用いられる編み笠は、女性の首すじを美しく浮き立たせ、深くかぶった笠から覗く、赤い紐や唇は艶っぽく、踊りを引き立てます。
 編み笠は、越中おわら風の盆(富山県富山市)などでも用いられ機械で生産されている物もあるようですが、西馬音内盆踊りの編み笠は、両端が張り出した形のため、機械での生産は難しく、すべて手作りで作られます。また、その作業難しく、一つの笠を作るのに二〜三日はかかり、そのため、価格も一万円〜二万円ほどします。現在、町内では二人の方が編み笠を作っています。町内で作られた編み笠をかぶり、踊ることを望む人も多くいます。将来「町で作られる笠がない」というようなことがないよう後継者の育成が重要となります。
町内で編み笠を作る 原田 ひとみさん
質の高い編み笠を
町内で編み笠を作る 原田 ひとみさん
 町の広報で、編み笠作りの記事を見てやってみたいと思いました。師匠の大戸の阿部さんとは職場の関係で知り合いだったこともあり、一昨年の冬から丁寧に教えていただきました。
  子供がまだ小さいので働きに出ることが難しく、パートの合間に編み笠を作っています。これまで、三十個ぐらい作りましたが、笠のカーブのところが難しくなかなか思うような形にはなりません。大きさもかぶる人の体格や好みなどで、みんな同じではありません。材料の良質な「い草」も手に入りにくく、一生懸命やっても一個つくるのに最低数日はかかります。販売店に卸しても小遣い程度にしかなりませんが、西馬音内盆踊りの伝統を守るため、質の高い編み笠作りに専念したいと思っています。

藍染
盆踊り会館に展示してある縄野三女(なわのさんじょ)さんの藍染め浴衣 藍染めの浴衣は男女とも多く用います。この場合には、頭巾が多く用いられますが、編み笠も用いられます。(左写真:盆踊り会館に展示してある縄野三女(なわのさんじょ)さんの藍染め浴衣)
しごきと袖に縫い付けられた赤い布 浴衣の多くは手絞りの藍染めで、江戸時代後期、平鹿・浅舞地方で発達した「上絞り」の技と「藍染め」の術で、それぞれの町家の婦人たちによって作られ、その柄も個性豊かで変化に富み、袖には赤い布が縫い付けられています。浴衣は、腰紐をしめたうえに、だて巻きか角帯をいて着くずれをとめ、その上に端縫い衣裳と同じように赤か紫・黄のしごきをしめ、蝶結びにして、左側に下げます。(右写真:しごきと袖に縫い付けられた赤い布)
 現在着用されているものには、江戸時代に制作されたもの現存し、布は手織りの木綿が用いられ、絞りの技術とデザインには驚くばかりです。浴衣は、踊った後すぐかその翌日、水洗いをして汗や汚れを落とし、のり付けをして夜の踊りに着られるようにします。このように、幾度となく水をくぐった藍染めの色は、年を重ねるごとに色が冴え、踊り姿を照らす赤い「かがり火」に色鮮やかに映えます。
昨今は、端縫い衣裳ばかりが取り上げられ、端縫い衣裳の踊り子が多くなっています。旧家しか端縫いを持っておらず、さらには上手でなければ着ることができなかった時代には、藍染めの踊り浴衣はもっとも一般的な衣裳だったようです。

頭巾
 踊りの中の黒い覆面、ひこさ(彦三)頭巾は、亡者を連想させます。
 ひこさ頭巾は、麻や木綿などの黒い布で、前長さ八十五センチ、後長さ六十九センチ、幅三十一センチの袋状で、目だけが見えるように目穴を開け、その中央には黒いボタンが縫い付けられています。目を目穴の位置にあわせて、豆絞りの手拭などで鉢巻きをしてとめます。
 ひこさ頭巾は、由利地方の「はなふくべ」の流れとか、山形県庄内地方の、農作業で女性が用いる「はんこたんな」と呼ばれる日除け・虫除け用の覆面と関係があるのではとか、明治初期に坂東彦三郎の歌舞伎の黒子にヒントを得たのでひこさ頭巾と呼ばれるのではないかとか、鹿児島県与論町の与論十五夜踊りにも、類似した頭巾が使われているので何かゆかりがあるのではなどの諸説がありますが、はっきりした由来は、分かっていません。いずれにせよ、踊りの輪の中に黒い覆面の踊り子が多く入っている情景は、亡者踊りといわれる妖しい雰囲気をかもしだします。
はぎ衣裳を縫う 和賀 キヨさん
深い味わいは古い絹で
はぎ衣裳を縫う 和賀 キヨさん
 はぎ衣裳を縫える人は、他にもたくさんいますよ。
 和裁は、おばあちゃんから教えてもらい、小学六年の頃にはちょっとした浴衣くらいなら縫っていました。本格的に和裁を習ったことはありませんが、湯沢の和裁教室に娘を通わせ、娘のノートを拝借し勉強したことがあります。まったくの自己流で、娘や孫、息子の嫁に喜ばれるのがうれしくてこの年になっても縫い続けています。
 最近、アメリカに住んでいる孫娘にせがまれはぎ衣裳一着と旦那の浴衣を送ったら、先ほど電話が来て喜んでいましたよ。
 十五年も前だったと思いますが、盆踊りに来た大阪の方から「衣裳は誰が作るの」と聞かれ、「自分が作るけど、古い布を手に入れるのが難しくなった」とお話ししたところ、毎回古い布を送っていただき、いまだにお付き合いしています。ありがたいことです。はぎ衣裳は、昔の模様と深みのある色あいが美しいと思っています。

踊り
かわいらしい子どもの踊り  宵闇せまる頃、本町通りに、かがり火がともされ、寄せ太鼓が鳴り響くと、子どもたちが豆絞りの手拭の鉢巻きと浴衣などに身を包みやぐらのそばに集まります。
 西馬音内盆踊りはこうして、子どもたちの踊りから始まり、子どもたちに受け継がれています。夜が更けるとともに輪が大きくなり、子どもたちの姿がいつしか消えてゆく頃には濃い藍染め衣裳や、あでやかな端
縫い衣裳の踊り子たちが加わって、しだいに熱をおびた大人の世界になっていきます。
 盆踊りほど日本全国で踊られ、親しまれてきた踊りはありません。とりわけ、馬音川の産湯につかったといわれる踊り子たちは、物心つかない頃から踊りながら育ちます。せんぞをしのび、豊作を祈り、平和で豊かな生活への願いをこめて踊られ、老若男女を問わず、西馬音内盆踊りに関わるすべての人により受け継がれてきました。そうした想いは、かがり火のように人々の心に焼きつけられ、よそに嫁いだ女性でも、期間中は里帰りして踊る人も多く、まさに、西馬音内盆踊りは「心のふるさと」と言えます。
 にぎやかで、勇ましく野性的なお囃子に対し、ゆるやかで流れるような動きに、しなやかな手振りと優雅な足さばきの上方風の美しい踊りとの対照が西馬音内盆踊りの「不調和の調和」ともいえる特長です。踊りには「音頭」と「がんけ」があります。
優雅で静かな抑揚のある音頭 音頭は優雅で静かな抑揚のある踊りで、その振りは、かつて北前船(江戸時代の流通手段)で京都・大阪と経済的に繋がっていたため、その影響があったと考えられています。音頭には、一番と二番があり、それを交互に踊ります。
 がんけは、月光の夜を飛ぶ雁(かり)の姿を踊りから連想した、「雁形(がんけい)」、仏教伝来の「勧化(かんげ)」、現世の悲運を悼(いた)み、来世の幸運を願う「願生化生(がんしょうけしょう)の踊り」がつまって「願生(がんけ)踊り」と呼ばれたとの諸説があります。
  がんけの歌詞、節回しには哀調が漂い、本来、娯楽の踊りではなかったことを物語っています。がんけにも、音頭と同様に一番と二番があり、それを交互に踊ることになり、音頭よりもテンポが早くなります。
 また、道に砂を撒いていますが、これは道と草履との間の摩擦を少なくし、がんけ踊りにある、一回転をしやすくしたり、草履がすり減らないための配慮がなされています。

 

西馬音内盆踊保存会幹事長 松谷 祐子さん 自分流に変えず伝統の踊りをしっかりと踊ってほしい
西馬音内盆踊保存会幹事長 松谷 祐子(まつやさちこ)さん
 わたしは、二〜三歳の頃から踊り始めました。母親は外から嫁に来たのですが、父親が踊る人でしたし、二人の姉からも習いました。学校を出てから役場に勤めましたが、役場の先輩にも踊る方は大勢いて習いました。保存会に入ったのもその頃です。二十三歳のときに十人くらいで一緒に習っていたんですが、一番最初に端縫いを着てもいいと言われとても嬉しかったのを覚えています。昔は上手にならないと端縫いは着られなかった。今は端縫いの人が本当に増えて、どうしてこの人たちは端縫いを着ているんだろう、と思うこともありますね。中にはすごく派手な端縫いや配置などを考えずにただ縫い合わせたようなものあって、とても残念です。
 西馬音内盆踊りは昭和十年の東京の大会で大橋栄(おおはしさかえ)さん(東京在住)たちが今の踊り、の型のようなものが決まったんですが、その昔からの踊りが一番の魅力ですね。その踊りが今は崩れてきています。盆踊りがあまりにも有名になりすぎたんでしょうね。町外から来る踊り子もそうですけど、町内の人も自分流に勝手に変えて踊っている人やただ手足を動かしているだけの踊りがあまりに多いくて。昔からの踊りを自分勝手に変えずにしっかりとした踊りを踊ってほしいです。
 保存会では西馬音内保育園に指導にいってますけど、最初は見よう見まねの子どもたちも一年経つとすごく上手になって驚くばかりです。秋田市や宮城県から練習会に熱心に通って下手な西馬音内の人より上手に踊る人もいますけど、どこか欠けているんですよ。やっぱり西馬音内に生まれて、小さい頃からしっかり踊っている人の踊りには味が染み込んでるんですよ。西馬音内の人にはこういった踊りをしてほしいですね。

囃子
お囃子が演奏されるやぐら  西馬音内盆踊りのお囃子は西馬音内盆踊り会館のバルコニーにやぐらが組まれ、天井正面に横締めを張りその上に小野寺氏の家紋と云われる「五もこうの紋」の入った丸提灯を下げ、左右の柱に「五穀豊穣」「豊年万作」「国指定重要無形民俗文化財西馬音内盆踊り」と書かれた丸と角の長提灯、腰には同じ紋の幔幕(まんまく)を張り、華やかな情緒を漂わせます。
 楽器の編成は、笛・大太鼓・小太鼓・三味線・鼓(つづみ)・鉦(すりがね)などで、演奏者(囃子方)は大小の太鼓・鼓・鉦は各一人ずつ、笛・三味線は複数で、主旋律を演奏する笛はある程度の人数が要求されます。笛は六本取りの七穴の篠笛が用いられ、三味線は、細棹(歌三味線)が用いられますが、太棹を用いる人もいます。大太鼓・小太鼓は締太鼓です。囃子方は鳴物六種のほかに、地口・がんけ唄の唄い手が加わり、向う鉢巻きに太鼓打ちは、浴衣にたすきがけ、そのほかは、浴衣に肩衣(かたぎぬ)を着て、演奏します。
 お囃子の種類には「寄せ太鼓」「音頭」「とり音頭」「がんけ」の四種類があります。
やぐらの下に人々が集まり熱狂するフィナーレ 寄せ太鼓は踊りの踊りの始まりを告げ、踊り子の集合を促します。また、踊りの終わりにも演奏され、近年は踊り子たちがやぐらの下に集まり、囃子方に感謝の意をこめ、声援を送ります。
 音頭は、踊りのための演奏で、野趣音頭の地口(唄)とともに囃されます。
 とり音頭は音頭の終了とともに始まります。音頭との違いは笛で流麗で高度な技術を要します。音頭は音頭・とり音頭・音頭というふうに繰り返されていきます。
 がんけも踊りのための演奏で、音頭の地口より緩い調子のがんけ唄がつきます。音頭とは対照的に、しみじみとした哀調があります。

 地口とがんけ唄は、音頭・がんけの時に唄われる歌詞で、優雅で神秘的な踊りに対し、秋田弁で即興
的にな歌詞は西馬音内盆踊りの魅力の一つとも言えます。唄い手は年期を重ねるごとに深みが増し、その歌声は踊りをいっそう引き立てます。
 地口の内容は、口から出放題の即興的なもの、ユーモアに満ちたもの、世間世事を風刺したもの、野趣にあふれるもの、時局時事を皮肉り、ときには支配層への抵抗をみせたもの、楽天的な中に農民特有の素朴なエロティズムを匂わせたものなど、多彩です。がんけ唄は、曲調にそって哀愁を帯びた歌詞が多くなっています。
 地口・がんけ唄は生まれては消え、消えては生まれたものでしたが、今なお、昭和初期から唄われ続けている代表的なものも健在で、暮らしに密着した大衆文化の力強さを感じさせます。

抱える問題
増加する観光客
 平成三年に東北新幹線が盛岡まで整備されたときにJRのキャンペーンで、取り上げられてから徐々に増え始め、平成十一年にテレビ朝日放送の「ニュースステーション」で実況生中継され爆発的に増加し、平成十五年には、町の人口の約八倍の十六万人が押し寄せました。そのため、会場内は混雑を極め、観ることも踊ることも困難になり、会場外でも違法駐車、トイレ・案内所・パンフレット不足、暗い夜道などの問題が出てきました。

西馬音内盆踊り観光客の推移(数値は西馬音内盆踊り実行委員会発表)
年度
H8
H9
H10
H11
H12
H13
H14
H15
H16
H17
H18
観光客数(万人)
5.6
8.0
6.4
7.7
9.2
11.2
13.4
16.0
9.5
13.6
14.0

 このため、西馬音内盆踊り実行委員会では、踊りの輪の中での写真撮影等を禁止し、雰囲気を壊さないよう配慮するとともに、輪の中を歩き回らないよう係員を配置するなど会場内の混雑解消に努め、桟敷席等の収入で会場警備や観覧席の増設・トイレの設置等を行い、踊りやすく観やすい環境の整備に努めています。また、観光物産協会では町の協力を得ながら、平成十三年から駐車場を利用する方々から環境整備協力金を負担していただき、その収入等で駐車場の整備と係員の配置、駐車場や夜道への照明の設置、駐車場への仮設トイレの配備、案内所(五カ所)を設け、係員・パンフレットの配備、警察官や交通指導隊・係員を交通規制時につけ、車両の誘導を行うなど安全に盆踊りを楽しめるよう努力しています。
本町通りにあふれる観光客 しかし、東西三百メートルの盆踊り会場に一日、三万から五万の方が詰めかけるとその対応にも限界があります。「会場をもっと広い場所に」との声を聞きますが、西馬音内盆踊りは見せ物の盆踊りではなく、豊作を祈り、先祖をしのび踊られるので、本町通りの、あの町並みの中で踊られるのが一番良く、それも西馬音内盆踊りの伝統の一つです。

増える町外からの踊り子
近年、西馬音内盆踊りにふさわしくない衣裳も増加している 
羽後町も少子高齢化は進み、平成十七年度の西馬音内地区の出生数は、四十四人となっており、将来的に踊り子の数は減っていくと思われます。
 現在、盆踊り本番での踊り子は半数または半数以上が町外からの踊り子と思われます。本来、少子高齢化の影響や踊りの輪が大きくなるなど、町外からの踊り子が増えることは喜ばしいことだとは思いますが、残念ながら近年は、踊りをキチンと覚えていない方も多く、がんけが始まると輪から抜けたり、前の人の踊りを見ながら踊るために踊りがずれていたり、笠を浅くかぶり顔が見えるなど盆踊りの雰囲気が壊れる一因となっています。さらには、こういった方々の中には、盆踊りにはふさわしくない衣裳の方も多く見受けられ、そういった踊りを見た観光客からの苦情が多く聞かれるようになっています。雰囲気を壊さないよう、こうした踊り子を踊りの輪から出てもらうことは、踊りを判断する難しさやそのための人員配備の難しさがあり、困難な状況です。町外からの踊り子の時間を規制したり、輪の中に入れないと言う声もありますが、町内・町外を判別するのはほぼ不可能ですし、時間規制なども混乱や混雑に拍車をかけるため、現実的ではありません。このような理由から抜本的な解決策はなかなか難し状況ではあります。
 しかし、この現状を放っておくことは、伝統ある盆踊りの崩壊を招くことになりかねません。西馬音内盆踊りを末永く未来に継承していくためには、今後なんらかの対策をとる必要はあると思います。保存会では会員が踊る時に帯に目印を付けるなどしていますが、このように小さなことからでも始めることは重要です。

知名度向上による弊害
 新聞でも報道されましたが、八月、羽後町にはまったく無関係の団体によって「西馬音内盆踊り」が仙台で開催されるところでした。各関係団体の抗議により中止になりましたが、詳細は次のようなものでした。
 七月下旬から八月四日にかけて観光物産協会事務局や企画商工課には仙台の方から「仙台で西馬音内盆踊りをやるそうですけど、いつどこでやるんですか」「仙台で西馬音内盆踊りをやるってテレビで見たけど、羽後町からは何人くるの」というような問い合わせが十数件ありました。
 八月三日、それまで九月に仙台市で行われる物産展のこと、と思い対応していましたが、八月に行われると分かり、事務局員が問い合わせ者に情報元をうかがったところ、仙台放送であることを知り、同テレビ局に連絡、主催者が「西馬音内盆踊り仙台実行委員会」であることを知り、チラシを主催者からファックスしてもらい内容が判明、事務局員から連絡を受けた職員が電話で仙台実行委員会に確認したところ「開催はこちらの勝手ではなか」との対応。
 八月四日、実情を把握するため、西馬音内盆踊保存会・西馬音内盆踊り実行委員会などに確認したところ町の盆踊り関係者とは全くの無関係のものだと判明、「全くの第三者が国指定重要無形民俗文化財と無断で表現するのは許しがたい」「西馬音内盆踊りは商標登録されており、中止してほしい」などの意見があり町が意見をまとめ主催者に郵送。
 八月七日、主催者が町を訪れ、「中止を決定し、テレビで中止のCMを流したほか、当日は会場に行き訪れる人たちにおわびする」と各関係団体に謝罪。
 八月八日、仙台で踊る予定だった宮城県の愛好会が、開催を求め来町したが、事情を説明し中止を納得。
 秋田市や県外にも盆踊りの愛好会ができています。自分たちだけで楽しむことは構わないと思いますが、このような西馬音内盆踊りの伝統を軽視するような行為には厳しく対処していかなければなりません。また、新聞社や放送局も後援していますが、公共的な機関が西馬音内盆踊り各関係団体に確認もとらずに後援するといった行為には大きな疑問が残ります。

盆踊りの苦情をとりまとめる企画商工課 佐藤 康雄参事踊りの質向上が課題
盆踊りの苦情をとりまとめる企画商工課 佐藤 康雄参事
 平成の時代に入り、観客数が増加傾向になるにつれ苦情も多くなりました。苦情がピークに達したのは平成十六年、台風に直撃された年です。激怒した様子の観光客から電話が相次ぎ、応対した職員は平身低頭詫びるだけの毎日が続いたものです。
 ところが、かがり火広場や盆踊り会館が整備されてから苦情の数が激減、今年は電話による苦情が一切なく、手紙やメールで数件あっただけ。その内容も良い意味での提言などがほとんどでした。
 苦情の減少について企画商工課では「ピーク時からすれば観光客数が減少し、更に会場が広くなったことで、受け入れする関係者の応対に余裕ができたのでは」と分析しています。
 しかし、苦情が減少し良くなったという反面、ここ数年、新たな問題も発生しています。町外から参加する踊り手の問題です。
「踊りが下手で情けない」「変な格好で踊っている。やめてほしい」と観客の声。
「踊りの前も後ろもよその人」「下手な端縫いが多すぎる」と地元踊り手の声。
「風情のある盆踊りだったが、質が落ち残念だ」昔の踊りを知る盆踊りファンの声。
こんな声が、あちこちでささやかれるようになりました。
 子供を含め踊り手の数は、一晩で千人を超しています。関係者によると「大人の半分以上が町外の踊り手ではないか」と推測されています。
 秋田市や仙台市、東京にも西馬音内盆踊りの教室があるとうかがっています。
 今の状態を放置せず、関係団体が知恵を絞り、伝統の踊りを守るため、踊り手育成の方策を考える必要があると思います。

末永く継承するために
やぐらが組まれる盆踊り会館西馬音内盆踊り会館
 平成十七年八月に完成した西馬音内盆踊り会館は、伝統の踊りの保存・継承、踊り会場の拠点として作られ、保存会の練習会や盆踊り本番には実行委員会の本部・お囃子のやぐらとして活用されています。
 このほかにも、中心市街地の活性化や観光客の分散化のための観光施設として、盆踊りの様子を再現した五十体の盆踊り人形・端縫い衣裳や藍染め浴衣・盆踊りの押絵・大型キルトのタペストリー・七メートル×五メートルもある藍染めの壁掛けなど百二十人を超す町内女性たちによる手作り作品の展示や二百インチの大型スクリーンによる盆踊りの紹介を鑑賞でき、今年七月末までに約二万五千人の方が訪れています。
 盆踊り会館は、盆踊り人形などが展示された展示ホール、盆踊りの練習や映像が楽しめる体験交流ホール、会合や盆踊り関連の創作活動に活用される伝承室・創造活動室などと図書館が併設されており、入館は全館無料です。ただし、体験交流ホール、創造活動室、伝承室を個人や団体が占有して使用する場合は企画商工課に申請し、使用料の納付が必要となります。一般観覧時間は、午前九時から午後五時まで、部屋を使用する場合は午後十時までとなります。休館日は毎週月曜日(祝日の場合は翌日)と十二月二十九日から翌年一月三日となっています。また、毎月第二土曜日には観光物産協会主催による「西馬音内盆踊り定期公演」が午後二時から有料(一人千円、団体二十名以上九百円)で行われ、一年を通して西馬音内盆踊りが楽しめます。
かがり火広場に設置された観覧席 かがり火広場
 平成十七年にかがり火広場西側が完成し、踊りの輪が寺町方向にも設けられ、これまでになかった新しい形が試みられています。このことにより、盆踊り会館との相乗効果で観光客の流れや会場整理などの実行委員会の活動がスムーズに行われるようになり、さらには観覧席の設置、観光物産協会会員による出店なども行われ、多くの方がゆっくりと観覧できるように配慮されています。
 かがり火広場西側では二・五・八の付く日には約三百年続く西馬音内の朝市が行われ、また、盆踊り会館や図書館利用者の駐車場(バス路線を除く)としても活用されています。

 

観光対策
整備された広場で苑外活動をする入所者の皆さん  今年度、松喬苑前の広場が利用者の苑外活動を活発にするためにに整備され、その広場で入所者のために二十七年前から行われている西馬音内盆踊りを町内の方はもとより、観光客の方にも見てもらえるよう、保存会の協力を得ながら試みています。
松喬苑での西馬音内盆踊り
 盆踊り期間中は本町通りの混雑を少しでも緩和するために、昨年は、北都銀行前交差点から図書館前交差点まで盆踊り会場を拡張し、今年度はそで桝席・観覧席を大幅に増設したほか、コミュニティセンター前駐車場に特設会場を平成十三年から設置し、有料ですがゆっくりと鑑賞できるよう(撮影会ではありません)に配慮し、午後二時からはコミュニティセンターで西馬音内盆踊り交流会が行われてます。
 また、コミュニティセンター・活性化センターを無料開放し休憩所を確保し観光客の方々に対応しているほか、カメラの撮影については、踊りの妨害や雰囲気を壊すため、全面禁止となっています。
 西馬音内盆踊りは県内への経済効果は約十億円、羽後町はその約一割(平成十年企画商工課調べ)となっており現在もその比率は変わっていないと思われます。これは、町に宿泊施設が少ないため、多く観光客の方々が町外に宿泊していることが主な要因となっていますが、盆踊りのために宿泊施設を建設できませんので抜本的な解決策はありません。しかし、町観光物産協会では「盆踊りを最後まで観て、地域の方と交流したい」との声が多く平成十五年にホームステイ研究会を立ち上げ、毎年五百人前後の方々が、民家や集会所などに宿泊し、地域の方との交流を楽しんでいきます。

PR対策
 西馬音内盆踊りのPRは、町のホームページで盆踊りへの理解や来町するさいの心構え、観るさいのマナーの注意、よく問い合わせがある質問などの掲載、観光物産協会のホームページでの桟敷桝席・バスの駐車場・特設会場の予約方法案内、交通規制案内などを掲載しているほか、観光用のパンフレットを作成していますが、新聞や雑誌などの有料広告はほとんど行っていません。観光客の方から「PR不足ではないか」との声も聞かれますが、すでに町の対応が追いついておらず、その受け入れ体制も万全とは言い切れません。そのような状況下で、PRし今以上の観客が来られても不快な思いをさせてしまう危険性があります。

伝統と観光の共存
 我が町は、農業立町として歩んできましたが、西馬音内盆踊りが有名になり否応無しに観光地化した感があります。
 西馬音内盆踊りは伝統行事でありお祭りではありませんし、盆踊りに関わる人たちに大切に愛され、さまざまな取り組みにより伝統を継承するための努力がなされています。しかしこういったことに対して町外の方から閉鎖的との指摘を受けることもあります。では、盆踊りを観光化し誰でも参加出来るようにしたらどうなるでしょう。盆踊りの踊りは難しく簡単に踊れるものではありません。それぞればらばらな踊りや、普段着で顔を出しながら踊る西馬音内盆踊りは西馬音内盆踊りといえるでしょうか。こういったものが未来へ継承されていくとは思えません。
 反対に伝統を守るため、観光客などが来ないようにしたり、町内の方たちが楽しむために一日設けたりしたらどうでしょうか。現実的に排除する方法はありませんし、西馬音内盆踊りや地域が寂れいく原因になるのではないでしょうか。少子高齢化の我が町にとって盆踊りは、大きな観光資源として活性化につながっていますし、桟敷席や観覧席などの収入で櫓・音響等の設置運営を行っていますのでこういった収入無しに盆踊りを行うことは困難だと思います。
 これからの西馬音内盆踊りにとって西馬音内盆踊り各関係団体と協議しなから伝統を大切にしつつ、観光振興を図ることが大切なのではないでしょうか。

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