ゆきとぴあ七曲
【質問】
なんのためにやるのか?
【回答】
町に活気を取り戻すためにはじまりました。昭和40年代(今から40年前から10年間)日本の景気はどんどん良くなっていきましたが、後半にはさまざまな社会問題が発生し、少しづつ景気が悪くなり私たちの暮らす羽後町も活気がなくなってきたからです。
昭和59年に町長の考えで町の若者が一堂に集まり、活気を取り戻す話し合いが行われました。そのとき、羽後町は牛の生産頭数が秋田県で一番多いということがわかり「牛のお祭りをやろう」ということになりました。それが、今も続いている「うご牛まつり」です。もうひとつが「ゆきとぴあ七曲」というイベントだったのです。
【質問】
花嫁道中の開催日は?
【回答】
毎年、1月最終土曜日と決めています。理由は雪が一番多く降る時期だからです。もう一つは、秋田県内の小正月行事(横手のかまくら、男鹿のなまはげ、大館のあめっこ市、湯沢の犬っこまつりなど)がはじまる前をえらんだのです。小正月行事の一番最初をえらんだようです。このイベントは昭和61年にはじまりました。(平成17年で20年目)
【質問】
なぜ冬におこなうのか?
【回答】
昭和40年代羽後町は秋田県で一番出稼ぎの多い町でした。冬の間は家庭からお父さんやおじいちゃんがいなくなる家庭がとても多かったのです。だから、残された家族で雪かきや雪下ろしの作業は大変なことだったのです。こんなことから「雪ふらにゃばえな!」「早く春が来ないかな!」「冬だばやだな!」など「冬はいやなもの、暗いもの」という考えを持つ人が増えていったのです。
でも、考えてみてください。冬にはスキーができます。かまくらを作って遊べます。野菜も雪の下に保存すれば凍りつきません。純白の世界はとってもステキです。山にたくわえられた雪は、春の農業用水に使えます。いいこともたくさんあります。
昭和60年当時の若者達が、暗いふんいきになりがちな冬に、みんなが楽しくなるようなイベントをやろうと考えたから冬におこなうのです。
羽後町では近年、イベントが近づくと昔とは逆に、「雪が降らないこと」を心配するようになりました。今では、「雪コふって、エガッタんしなあ!」「んだんしな!」などという会話があちこちで聞こえるようになりました。
【質問】
いつから始まったの
【回答】
昭和61年1月から始まりました